2013年10月24日木曜日

西の大将ことRichiterのインタビュー Vol.1

Mega Dugemにも出演が決定している関西のDJチーム「Dugem Di Barat」を率いるFUNKOT DJ、そして楽曲のクリエーターでもあるRichiter氏のインタビューを公開です!

今回はVo1として、名前の由来から音楽遍歴、そしてFUNKOTへの出会い等をお聞きしました!



-まずRichiterという名前はどこから来たんですか?

Richiter 昔、週刊少年ジャンプでやってた漫画で「MIND ASSASSIN」っていうのがあったんです。記憶を消すやつが出てくる話なんですけど、あれに出てくるリヒャルト・リヒターっていうキャラが好きだったんで、そのまま中2っぽく自分の名前的なものとして付けたんですけど、その時はRichterっていう普通のつづりだったんですけど、そこで中学生になった時に、本当に中2の時ですね、インターネットができてアカウントを作ろうと、8文字の枠があったのでリヒターにしようと書いたらRichiterって間違って書いちゃって、それがそのままなんです。いつか直そうと思いながら、もうこれでいいやと(笑)。結果エゴサーチがしやすくなりましたね(笑)

-普通の綴りだと色んな人が引っかかりますもんね。

Richiter そうですね。かえってよかったです。

-そんなRichiterさんはいつ音楽を聞くようになったんでしょうか?

Richiter これも中2ぐらいですかね。家に親父が仕事で使ってたMacがあって、そこにMIDIGraphyっていうMIDIを打ち込むソフトが入ってたんですよ。最初は本当に遊びで使ってるぐらいですが、そこからMIDIで打ちこむということを初めて、好きなバンドの譜面とかをそのままバーと打ち込んだり、ガンガン自分で作ってました。

-自分で打つのが、実際の音として鳴るのは楽しいですもんね。

Richiter そうです、鳴るのが楽しい感じで。

-ピアノとか楽器はやってたんですか?

Richiter いえいえ、楽器は全然弾けないです。ちょっとギターをやってた時期もあったんですけど、人に聴かせられるものではないですね。

-ではMacのソフトが音楽を鳴らすというほぼ初めての経験だったんですね。それからはどうでしょうか?

Richiter それからは高校に入って、中学の時には同じようなことをやっている人は近くにいなかったんですが、高校にはたまたまいて。その時よく聞いていたのは洋楽のロックとかでしたけどね。そのまま社会人になったんですが、京都にcafe la siestaっていうお店があってそこで「1H1D!!! -ゲームは一日一時間!!!-」っていうChiptuneのパーティーの第1回をやるからっていって、自分がやっていてチームっていうのがSoundTeam,LORBっていうのをやっていて、L,O,R,Bってそれぞれ4人いるんですけど、そのLのLongfiってやつが、そのパーティーにでるから遊びにおいでよって誘われたんです。cafe la siestaはあくまでバーなんですが、そこで初めてクラブ的なところに行ったんです。

-それはおいつくぐらいの時ですか?

Richiter 何年前でしょう。5,6年ぐらい前だから、23,4歳ぐらいですね。

-SoundTeam,LORBはどういうグループの結成のきっかけはなんだったんですか?

Richiter 僕は前の仕事を辞めて、今の職場に来たときにちょっと時間ができて、この余っている時間をただ何もせずに消費していくのはもったいないなって思って、なんかやろうとってなって高校の時で音楽好きなやつと一緒になんかサークル作ろうぜってなって。まぁ同人活動って感じですね。

-LORBはどういう活動をされてたんですか?

Richiter ゲーム音楽のREMIXとかを中心にやってましたね。最初はロックとかでREMIXしてましたね。僕がダンスミュージック自体には当時は触れてなかったんで。また、LORBとしての活動は今も継続していて、L.O.R.Bそれぞれ全然違う事をしていますが、当然僕はFunkotを製作しています(笑)

-ご自身が今まで聞いてきた音楽をやっていたって感じですか?

Richiter そうですね、そのノリですね。まぁMIDIの打ち込みなんで結果的にはロックっぽくなかったんですけど(笑)。なんでもできる感を出したいっていう欲求がみんなあるもので、僕も色んなことをやってたんですけど、まぁその時からLongfi君がChiptuneとかFM音源とかを打ち込んでいたりして、それぞれ好きなことをやってた感じですね。当時からクラブに触れていたやつはクラブサウンドを作っている、そうじゃないやつも自分が触れてきた音楽ジャンルで作るっていう感じで、一つのチームの中に色んなジャンルが入っているんですよね。めちゃくちゃな感じでしたね。その中で自分はChiptuneにハマっていったんです。

-そこで初めて、クラブミュージックに触れたって感じですか?

Richiter そうですね。で京都にクラブメトロっていう箱があって、そこではアニメトロっていうアニソンメインのイベントをやってて、そこに行ってからクラブにドボドボつかるようになっていきましたね。アニメトロはアニソンを基本としてジャンル的には何でもかかってたんです。でも結局自分は「1H1D!!! -ゲームは一日一時間!!!-」の7回目ぐらいにDJとして出演させてもらえる事になったので、DJとしてはそこからはじまったっていう感じですかね。

-その時は何をかけてたんですか?

Richiter Chiptuneとアニソンを混ぜてましたね。当時の「1H1D!!! -ゲームは一日一時間!!!-」は何かけても大丈夫な感じだったんで。今はガチガチのChiptuneのパーティーになっているので、今僕は逆に手が出せないんですが(笑)

-Chiptuneだとどこらへんをかけてたんでしょうか?

Richiter 現場としてはChiptuneのDJはそこまでしてなかったんで、家でUSTとかやってたんですが、曲でいうとSiesta界隈のDJ マスター航太さんとか、うちのサークルLORBのBEN君の曲とか使っていました。

-海外のものというより自分達周りで作ったものをかけてたという感じですか?

Richiter 海外ものもかけてましたね、単純に自分がかっこいいなという思うものとか。自分でも作ったりしてたんですが、ChiptuneとMIDIの打ち込みが違いすぎて、なかなか大変でしたね。当時作ったものは1,2曲はあるんですけど。

-自分の中で満足がいかなかったっていう感じですか?

Richiter なんか、作業効率が全然違ったんですよ。音程を高さではなく全部文字で打ちこむんですけど、あれが慣れなかったですね。あれをガンガン打ちこめる人は凄いと思います。

-初めてDJされて以降は他にもイベント出たりしたんですか?

Richiter 何度か出たぐらいですね。年に1,2回ぐらいでしたね。呼ばれた時には、まだ現場は慣れてなかったんで、家で時間をかけて仕込んでリハーサルもやってました(笑)

-家でUSTをやってた時は何をかけてたんですか?

Richiter Chiptuneをかけたりアニソンをかけたりでしたね。

-ChiptuneからFUNKOTへの転機は何だったんでしょうか?

Richiter 当時Chiptuneでは自分の思うようにアニソンのDJができないというか、できるけど、作らないと曲の数が足りなかったんです。まぁそれはどのジャンルでも一緒なんですが、打ち込むのも遅いし、自分で満足できるようなものを作れる自身もないし。プレイ自体は、他のハウスのREMIXものやトランスっぽいものをずっと作ってたので。自分の曲を箱で聞きたいなって思った時に、色々出させてもらう機会があって、ちょうどその時に政所さんと出会うわけです。

-どういう風に出合ったんですか?

Richiter cafe la siestaの周年パーティーっていうので、ゲストで来られてたんです。そこで名前をを初めて知るんですが、実はその時はプレイを聞いてはいないんですよ。メインとサブのフロアがあってサブに友人が出てたんで、その時は友人を見てました。

-それはいつ頃でしょう?

Richiter 2009年、10年ですかね。確かそれらへんです。

-それまで高野政所という人自体を知らなかったんですか?

Richiter 知らなかったですね。FUNKY KOTA(FUNKOTの当時の呼び名)っていう言葉はなんか昔聞いたところがあるなっていうぐらいのイメージで。なぜかFUNKY KOTAという言葉は知ってたんですよね。当時は掘り下げて調べることもしなかったんで、どんな音楽かは知らなかったんですが、なぜか言葉が自体は頭に残ってました。で、次にFUNKOTと出会ったのはDOMMUNEですね。1カ月か2カ月後ぐらいにDOMMUNEで第1回FUNKOT特集があって、政所さんとShisotexさんが出られてて。その時に、あれこの音楽ヤバイんじゃないのってなったんです。

-前に京都に来てた人だし、見ようかなってぐらいだったのが。

Richiter これは凄い楽しい音楽だなって衝撃を受けたんですね。その後に、京都でアニメトロが開催されて、そこに政所さんがゲストで来られてたんです。今度はちゃんと聞こう、箱でちゃんと聞こうと思って。で、そこで聞いた時に自分の中の色んなスイッチが、ガチャガチャガチャガチャガチャって入ったんです。あー、これが自分が求めてたやつやなって。
普通のハウスとかだとBPMの縛りが凄くあって、アレンジ的に曲の幅っていうのが、結構限られているというか。遅い曲を速くしたり、その逆で早い曲を遅くしたりってするとイメージが様変わりしたりして自分が作りたいように作れなかったんです。これは聞いてる人はダルいんじゃないかなって心配したりしてたんで、作る曲はBPMで先に決めてましたね。この曲は160ぐらいだからいけるなぁ、じゃあこの曲とこの曲をっていう感じで。ただ作ってる中でなんか狭いなぁって思っていた時にFUNKOTと出会ったんです。

-最初にFUNKOTをクラブで聞いてどうでした?

Richiter なんか訳がわかんなかったですね。気が付いたらHIP HOPに変わってるんですよ、「ん?」って思って、あれさっきもっと速かったよね、今遅いよね、したら今度は速くなって。あ、
こういう音楽なんだって。メロディもオリエンタルな感じで、あの曲とか作れそうだな、この曲とか作れそうだなっていうアイデアがバーって沢山沸いてきて。

-色んなメロディや東洋と西洋が合わさっているものがRichiterさんの頭をシェイクしたような。

Richiter そうですね、あの衝撃は忘れられないですね。そんでその時に「INDONESIA FUNKY HOUSE MUSIK」っていう50曲ぐらい入ったCDが売っていて。あれ2枚買ったら1万円するんですよね、クラブで1万円使うのは、

-ちょっと悩みますよね

Richiter だから20分ぐらい物販の前に、う~ん、う~ん、って。ただDOMMUNEで聞いてたんで、既にFUNKOTにハマってはいたんです。ずっと悩んで、後で買うから置いといてって言って、結局そこで売ってるFUNKOTのCD全部買いました。

-その時は政所さんとお話とかはされたんですか?

Richiter その時はしてないですね。数ヶ月後に再び政所さんが京都に来られる機会があったのでその時にやっとご挨拶できました。

-その時からFUNKOTをやるぞってなったんですか。

Richiter その時は、いつかこの音楽をやりたいなっていう気持ちはありました。ただその時は別のジャンルをやってたんで、曲のストックもまだないですし、それと自分の現場はアニソンが多いんで、アニソンのFUNKOTを用意しないといけない、その為には堀るか作るしかないんですが、ただ掘っても当時は日本語ネタやアニソンネタが全然なかったんで、ShisotexさんやSuamaさんが製作されていた数曲しか見つからなかったのです。

-さすがにそれだけではアニソンのイベントはまわせないですもんね。

Richiter そうなんです。試行錯誤しながら最初は別のジャンルから徐々にBPMを上げて行って、Funkotを織り交ぜて行くプレイ変更していきました。ある程度自分で曲も作れるようになって、FUNKOTだけでプレイもできるようになった時点で、今日からはFUNKOTです、みたいな感じでした。

-それはいつ頃ですか?

Richiter 2011年の夏ぐらいですね。で、何気に初めて行ったFUNKOTのオンリーのパーティーが北海道だったんです。

-そうなんですか。

Richiter ビビってアシパン(Acid Panda Café)行けなかったんです(笑)

-(笑)でも北海道って東京よりも遠いじゃないですか?

Richiter 北海道にFUNKOTを通じて出会ったSilkwormさんとか、当時LoopyReleyに出られてたSUAMAさんと床上中さんがゲストで来られてて、それで行く事を決めました。ちなみにそのイベントのためだけに行って、終わったら観光もせずそのまますぐ帰りましたね(笑)

-北海道は何ていうイベントだったんですか?

Richiter DISCO UTARAって言う名前でしたね。

-FJ UTARAの名前が変わる前のやつですね。初めてのFUNKOT ONLYのイベントはどうでした?

Richiter 完全に客として行ったんですが、まずそこで売ってるCDは全部買いましたね(笑)。オンリーのパーティーに行って、これはずっと聞ける、最高やなって思いました。

-なるほど、疲れないし。

Richiter いや、疲れはしますけどね(笑)。でも飽きないし、ずっと聞いてられるなって思いました。






Vo.2となるインタビューの後編に続く。

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