2014年7月13日日曜日

丸省+DJ RINDインタビュー vol.1


MEGA DUGEM Vol.2にはラッパーの丸省、そして丸省を含めてDJ RIND、METEORからなるユニットの秘密結社MMRにも参加頂きました。
丸省は2014年DJ JET BARONの第1弾EPにも参加しているということもあり、今回お話をお聞きし撒いた。リハ前に行ったので、DJ RINDも飛び入り参加。まずは彼の青春時代の話をお聞きしました。



秘密結社MMR@Mega Dugem vol.2
‐それでは最初に自己紹介をお願いします。

丸省 悪ガキG、秘密結社MMRの丸省です。

RIND 秘密結社MMRのDJ RINDです。よろしくお願いします。

‐今回は2014年7月2日予約開始、7月14日に配信開始される『Enaker's High - EP』の収録曲「Funkot Anthem 2014」に丸省さんが参加して頂いたこともあり、せっかくの機会なので、お話をお伺いしたくお時間を頂きました。よろしくお願いします。さっそくなんですが、丸省さんが自分の意思で初めて買ったCDは何でした? 

「全裸マン」CD
丸省 全裸マンという伊集院光さんのCDでしたね。小4か小5の時ですかね。AMラジオが凄い好きで、特に伊集院さんが好きで「伊集院光のOh!デカナイト」っていう番組で伊集院さんが全裸マンというキャラで歌ったCDでしたね。

‐聞いた時の感想とか覚えていますか?

丸省 いやー衝撃でしたね。下ネタと早口言葉の応酬で(笑)。千葉麗子ちゃんがガヤで参加していて。丸裸三郎さ~んなんつって。それが音楽の初体験で、ラップとの出会いでもありましたね。

‐そこからラップを聞くようになったんですか?

丸省 そうはならなかったですね。

‐「全裸マン」のCDは小学生がアニメの主題歌を買うような感じで買ってたんですね。

丸省 そうですね。あ、島津ゆたかの「ホテル」っていう曲があるんですけど、ちっちゃい時にお母さんにスナックに連れて行ってもらって、それを歌っているのが俺の最初の音楽との出会いですね、って今思い出しました(笑)

‐なるほど。

丸省 これが音楽なんでっていうのと、お母さんがちょっとエッチなことを歌っているっていう両方の想い出がありますね(笑)。

‐中学は地元の中学校でした?

丸省 地元の中学ですね。

‐ちなみに地元はどちらですか?

丸省 地元は足立区っすね。

‐中学に入って部活とかは入りました?

丸省 バスケ部ですね。すごい先輩後輩の上下関係が厳しい学校で、先輩にすげぇしごかれて、校庭で練習の時はいつもホイットニー・ヒューストンのボーディ・ガードのテーマを大声で、しかも振付で歌わされていました(笑)。

RIND それは、いじめですよね(笑)。

‐(笑)。歌ってたのは丸省さんだけだったんですか?

丸省 俺だけでしたね。陸上部の女子がこっち向くまでやらされてました(笑)。

RIND 今、その曲聞いたら辛いとかあるんですか?

丸省 今でも好きで、なんか人前で歌ったことがいい感じで記憶されますね。

RIND 人前で歌うというエンターテイメントができてたんですね。

‐ちなみになんでバスケ部だったんですか?

丸省 「スラムダンク」ですね。あと、中学の時って、とにかくモテたいっていうのがあるじゃないですか。それと俺らの時代って中学の時にBOΦWYとかにはまってバイク系のヤンキーになってギターとかやるか、HIP HOP聞くかっていう感じだったんです。

‐丸省さんの周りはHIP HOPを聞いてたんですか?

丸省 そうすっね。しごかれてた先輩がHIP HOPが好きで、教えてもらいました。

‐最初は何を聞いたんですか?

丸省 昔『NOW 1』っていうコンピが出てたと思うんですが、Snowとかね。それでLisette Melendezって人が「Goody Goody」っていう曲を出したんですけど、あれのシングルか何かにNICE & SMOOTHのGreg Niceがフィーチャリングされてて、それがきっかけで外国人のラップを聞きだしましたね。

‐いきなり英語でラップを聞いてもすぐ理解できました?

丸省 わかんなかったですけど、やっぱりこれ聞いてれば女にモテルんじゃないかなっていう。

‐(笑)。

RIND 絶対そうですよね、中学の時は(笑)。

丸省 学校から俺の家が近くて、自分の部屋の窓開けてラジカセのボリュームあげて、窓のところに俺がいて、好きな子の学校帰りを待ってたんですよ。

‐(笑)。それで、女の子から「かっこいい!何、聞いてるんですか?」とか声をかけられたことはあったんですか?

丸省 一切ないですね!

‐(笑)。同じクラスとかに音楽仲間とかはいました?

丸省 中学の8年ぐらい上の先輩にMellow YellowのK.I.Nさんとかがいて、それもあったんで、中学3年ぐらいの時に初めてFG Nightに遊びに行ったんですよ。

‐初めて生のラップを聞いてみてどうでした?

丸省 いや、もぅ凄かったですね。PESさんとかRIP SLYMEの大ファンになっちゃいましたね。もうかっこよすぎて。

RIND スタートがいいですね。恵まれてますよね。

丸省 ちょっと前後するんですが、HIP HOPと同時にラジオもずっと聞いてて、伊集院さんのことを知れば知るほど、昔ARB、荒川ラップブラザーズっていうのを組んでて、それでもラップしてるんですよ。それで日本語ラップを聞き出したというのもあって。

‐片手にはラジオからのサブカル的なラップが入ってきて、片手には現場からの生のラップが入ってきてっていういいバランスでラップを聞いてたんですね。その頃はラップを自分でやったりはしてたんですか?

SIMON JAP
丸省 中学2年ぐらいの時から始めました。当時、原宿にROCK-TeeさんがやってたCRIBっていう洋服屋があって、当時はKREVAさんとか、PESさんとか、CUEさんだったりK.I.NさんだったりっていうFG Night関係の人が働いていて、そこに中学生で遊びにいって、洋服買って、話をしにいって。何回が行っているうちに、SIMON JAPと出会うんです。SIMONのお兄さんが働いていて、「俺ラップしてるんすよ!」て言ったら「うちの弟もやってるよ」って紹介してもらったんです。

‐なるほど、ちなみに高校は共学でした?

丸省 男子校でしたね。

‐モテたい中学生がなぜ男子校に行ったんですか?

丸省 自分らの頃「東京ストリートニュース!」っていう、どこどこの高校のベスト着てるとモテルとかだったり、自分が行った高校もランクインしてる高校で、そこに行ってた先輩に「どうなんですか?」って聞いたら「おまぇ、毎日合コンで大変だよ!」って言われて。

‐(笑)。

丸省 「うちの高校入れば、毎日合コンで乾く暇ねぇぞ」って、その時「乾く暇ない」ってフレーズを初めて聞きましたね。

‐(笑)。

丸省 で、そこに入学したんですけど、俺らが入学したと同時に俺が入った高校がダサイってなって。

RIND 転換期をむかえたわけですね。

丸省 いや、今ちょっと言い過ぎた、学校のせいにしてた。結局いけてないやつはいけてないから、どんなに金看板しょっててもモテないということを知りましたね(笑)。

‐高校では部活はやったんですか?

丸省 やってないですね。ラップ活動を増やしていって、ライブやったりとかしてました。

‐高校生でもうライブやっていたんですね。お客さんのリアクションとかはどうだったんですか?

丸省 いや、もうノルマがきつくて、覚えてないですね。

‐なるほど。高校生のペーペーがいきなりいけないですもんね。当時はオリジナルだったんですか?

丸省 オリジナルでしたね。

‐どういう内容のリリックだったんですか?

丸省 ほんとにね、RIP SLYMEが大好きで、グループの名前がCOZY BREEZE、心地いい風っていう名前で(笑)。

RIND 今からだと考えられないですね(笑)。

丸省 ちょっとThe Pharcydeとかにも憧れてて。3MC,1DJの4人組でした。

‐そのグループは何年ぐらい続けたんですか?
丸省 19才ぐらいまでですかね。

‐結構長くやったんですね。そのグループのハイライトとかってありました?

丸省 ハイライト、、、無かったのかなぁ。芽がでなかったですね。解散の後に、メンバーが新しく作ったグループがすげぇ注目されて、負け組と勝ち組っていうのが見えちゃって。

‐当時は自主で音源とか作ったりしてたんですか?

丸省 さすがにそこまでにしてないですね、デモテープ配るぐらいですね。

‐高校卒業後はずっとラップ活動に専念していた感じですか?

丸省 いや、もう19才ぐらいで辞めちゃいました。もう聞かないっていって。

‐なかなか上手くいかないのがつらすぎて?

丸省 はい、つらすぎて。もうラップなんて聞いてられないってシャットダウンしたんです。

‐ラップを聞くこともやめたんですか?

丸省 やめましたね。海外のHIP HOPは聞いてはいたんですけど、日本の聞くとなんか悔しくなるんで。

‐そこから20代はほとんど音楽活動せずですか?

丸省 働いたりふらふらしてましたね。

‐10代のころはHIP HOPにどっぷりはまって、活動もしていて。でもやめた後に、仕事以外になんかしてました? 趣味とか。
丸省 趣味ですか、、、高校女子バスケを見るのが好きだったですかね。

RIND 昨日もその話をしてましたね(笑)。

‐バスケも好きだし、女の子も好きだし、理にかなってますね。

丸省 代々木でウィンターカップっていうのがあって最高なんですよ。黒人の選手とかもいて。

馬瓜エブリン
‐助っ人外国人的な留学生ですか?

丸省 桜花学園の馬瓜エブリンっていうね。彼女はパリコレのモデルさんみたいでね~、素敵なんですよ。

‐この期間はライブにもほとんど行かずという感じですか?
丸省 SIMON JAPがやるライブとかはたまに見に行ったりしてましたね。

‐他のジャンルは聞いてました?

丸省 聞いてましたね、サイケデリックトランスとか。

‐へー以外ですね。
丸省 海外旅行が好きで、外こもり的な。何か月か働いて金をためて、バックパッカーで行くみたいなのをやってましたね。

‐今回の新曲「Funkot Anthem 2014」の歌詞の中にもありましたね。

丸省 俺、アジアが好きで、結構行くことあったんですけど、東洋と西洋のものが一緒になってるところはヒッピーの聖地だったりするじゃないですか。いろんな文化が混ざりあうハイブリットで。

‐一番印象に残っている国はどこになりますか?
Goa trance party

丸省 自分はインドが好きで、そこでゴアトランスに出会ったんですよ。ビーチで5000人ぐらいいるところでゴアトランスがかかってて。自分はHIP HOPしか聞いてこなかったから、なんじゃこらと驚いて。BPM早いし、チャラチャラしてるし、イスラエル人でかいし。

‐多国籍な人がいたんですね。

丸省 ヨーロッパだったりイスラエルだったり、世界中の人がいましたね。そこでBPMが早い音楽もいいなって。

‐旅以外は何してました?

丸省 よくAMラジオを聞いてましたね。大沢悠里さんに救われた男の一人ですね。

‐救われた?

丸省 一人で海外旅行に行って帰ってきてっていうことをしてたら、友達とかも少なくなってて、ラップの友達に会うのもなんか後ろめたくて。なので、基本的に一人でラジオを聴くっていうのが多くなって。

‐20代だったらオールナイトニッポンとか、J-WAVEとかラジオでも選択肢はあったと思うんですが、なぜ大沢悠里さん、TBSラジオだったんですか?

丸省 今はそうでもないんですが、当時はお笑いの人たちってなんかちゃらちゃらしてんなって感じで、お笑い芸人のラジオは聞かないって自分の中でルールみたいな偏見があったんですよ。そこでエアサーフィンしてて、お色気大賞をきいたときに、あーこの人は本物だって思ったんですよ。

‐救われたっていうのはどういうことなんですか?

丸省 やっぱラジオって家族じゃないですか。なんていうか近い存在になるというか。最初は吉田輝美さんが先だったのかな、やる気マンマンで凄い好きになって、吉田輝美さんのライブも見るようになって。現場で隣に座ってる人と仲良くなったり、輝美さんと一緒に写真とってもらったり。

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HIP HOPから離れた丸省は、どのようにして復帰したのか?
そしてFUNKOTとの出会いは? Vol.2に続く。

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